当店では、これまでも美術館や博物館の展覧会図録、たくさん扱ってきました。

なかには建築史系の「日本の赤煉瓦展」とか民俗学系の「星の信仰展」とか「これは面白い!」というのも多いのだけれど、売ってしまえばそれっきり。

しかも一般の書籍と違って書誌データもないので、人知れず世の中から消えていってしまう。

それが、なにやら残念で、折に触れて「面白い図録」を紹介していきたいと思います。

記録に残したい、というのが目的なので、必ずしも全部が「売り物」ではありません。どうか悪しからず。
(なお、このコラムは2005年3月より当店ホームページに掲載中のものをブログに移転したものです。)

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2014年08月15日

動物たちへのレクイエム

393260.jpg埼玉県平和資料館
「テーマ展 戦争と動物たち」
A4版45頁 平23



毎年この時期、戦争を扱ったドキュメンタリーなどを見かけることが多いですね。
もう5〜6年前になりますかしら、クリント・イーストウッド監督が太平洋戦争の激戦・硫黄島攻防戦をテーマに連作映画を撮ったのを覚えてませんか?

その一作「硫黄島からの手紙」で、こんなシーンがありました。

日本のどこかの町、憲兵が歩いていると、とある家の飼い犬がワンワンと吠える。
憲兵は有無を言わさず犬を射殺する。

そんなバカな!! いくらなんでもそんなこと現実にあるはずない。ハリウッド映画はめちゃくちゃ描きよるなぁ

と観ていた私は思いました。

が、あながち見当違いでもない−ことを、この図録で知りました。

「犬の献納運動」
そんなものがあったんですね。初めて知りました。
誰がそんなこと考え出したのか。
飼い犬の献納を呼びかける当時のパンフが収録されています。
そこには「犬の特別攻撃隊を編成して」なんて書いてあるけど、まさか本気でそんなこと考えていたわけではあるまい。
そうして集められた数十万頭の犬は
「人目につかないところで撲殺された」・・・・

いったいなんの為に・・・・

「象の花子さん」だけではない、数え切れない動物たちを襲った悲劇を伝える資料集です。
処分された猛獣たち、戦場に散った軍馬・軍犬たち、浮かばれない何十万・何百万の命。それを知ったところでボクにはどうにもできないけれど、でも、知っているからこそ思いを馳せることもできる。
知ることは大切なんです。。。
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2014年08月06日

北の海を渡って

393260.jpg北海道開拓記念館
「山丹交易と蝦夷錦展」
A4版64頁 平8



「蝦夷錦」って織物、知ってますか?
本来は清朝の官服。
ほら、映画「ラストエンペラー」で西太后や溥儀が絹に豪華な刺繍のほどこされたガウンみたいな中国服着てるでしょう?たぶん、あの類だと思うんです。

で、清朝は沿海州の少数民族をコントロールするため、それぞれの部族の有力者に官職を与えるわけです。有力者たちも「肩書き」が欲しかったんでしょうね。
そして、官職に応じて豪華な刺繍入りの官服を与えた。
辺境地帯では、この豪華な絹服の価値は高く、対岸の北海道・樺太のアイヌ人たちに売られていった。アイヌの族長たちは礼服として珍重し、さらにアイヌ人から松前の和人たちの手に渡る。

アイヌから入ってきたから日本の人たちは「蝦夷錦」と呼んで珍重した。

この図録を読んでいて疑問に思ったのですが、日本国内で需要があるなら、なぜ長崎経由で直接中国から輸入しなかったのかな?

理由は様々あるんでしょうが、この図録によると「蝦夷錦」と名付けたのは松前の人たちだとか。
本当は「清錦」なわけだが、それを言っちゃあアイヌ−沿海州のツングース系部族−清帝国の密貿易がバレてしまう。
もしかすると長崎経由の正式貿易ルートに利益を横取りされるのを怖れて「蝦夷」の物産であることを強調したのかも、なんて思ってしまいます。
なんか、松前藩ってアイヌ貿易でサケの数をごまかしたり、悪者のイメージが取れない。
いや、それはボクだけの思いこみですね。スミマセン・・・・

かつてオホーツク海周辺地域は文化的に一体で、「環オホーツク文化圏」として独立した存在だった。
蝦夷錦の交易ルートも、その文化圏あっての話。
そこに中国と日本が、さらにはロシアが入り込んできて文化圏をズタズタにしてしまう。
「蝦夷錦」はそこに不自然なカタチで現れたフシギなモノ、そんな気がします。

なお、このテーマでは他に
「蝦夷錦と北方交易」青森県立郷土館 平16
「北のシルクロード蝦夷錦の来た道」 札幌市中央図書館 平3
があります。
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2014年03月10日

伝統と革新と

393260.jpg横浜開港資料館
「日本の赤煉瓦展」
B5版71頁 昭60



クラシックな建物を「赤レンガ」って呼ぶこと、多いです。
その町その町に「赤レンガ」がある。
札幌で「赤レンガ」といえば北海道庁本館。
大阪なら中之島の公会堂。
東京ならやっぱり東京駅かな?

よく見るとレンガじゃなくてテラコッタタイルだったりするのですが、それもこれも、ひとっ括りに「赤レンガ」。

明治の頃に忽然と登場した近代建築、当時の人から見たら巨大で、ズッシリしてて、強烈な印象だったのではないかしら?
その表面を覆っていた「赤レンガ」が日本人の心に深く焼き付いたのでしょうね。

日本の近代化に強烈な存在感を放っていながら、赤レンガの研究書ってあんまり見ない。
展覧会も、この横浜開港資料館が唯一ではないかしら?

それゆえ資料的価値もとっても高くてなかなか手に入らないのがこの図録です。

圧巻は、約100種類ものレンガに押された刻印の画像。
製造所を示すマークや略字なんですが、こんなに多種多様なレンガが日本各地で製造されていたとは知りませんでした。

意外だったのは、赤レンガって、はじめは瓦職人が作っていた−という事実。
今でも埼玉県深谷市には「ホフマン窯」という西洋式のレンガ製造設備が残っているように、レンガ製造って日本の伝統技術とは関係なく、ヨーロッパからポンッと輸入されたものだとばっかり思っていた。
でも、実際は、江戸時代の職人技と繋がっていたんだな−−そんなことを知るだけでもとっても楽しくて為になる図録でした。

追記
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2011年01月25日

がんばれ鎌倉御家人!

393260.jpg横浜市歴史博物館
「鎌倉御家人 平子氏の西遷・北遷」
A4版262頁 2003



むかしの出来事を「いまに例えるなら・・・」って、よくやりますよね。

例えば江戸時代、将軍家の家来(「直参」とか「幕臣」とか)と御三家・親藩の家来との関係って、なんか微妙ですよね。とくに幕末、水戸・尾張・越前家なんかは、反幕的な行動を取りますが、これなんか「子会社に移籍を命じられた社員が、本社に残って威張っている社員に対して抱く反感みたいなもの?」なんて、現代に置き換えて勝手な妄想をふくらませてみたり。

はなし変わって。
戦国武将には、もともと鎌倉時代に関東から移住してきたっていう来歴を持つ家が多いですよね。毛利家しかり。大内家しかり。長尾家しかり。
簡単に「移住」って言うけれど、地方が違えば言葉もなかなか通じない時代、移住先は決して友好的ではなかったろうし、大変なことだったろうな−と思うわけです。実際のところ、どんな様子だったのだろう?
そこで「いまに例えるなら」ですよ。
「新しく買収した海外の子会社に、社長として、数人の側近とともに乗り込む!」って感じなのでしょうか?
そのへんのことを、一般向けに、情景が目に浮かぶような形で紹介してくれる本って案外ないんですよね。
この図録は、相模国の御家人・平子氏が、周防国と越後国のとある荘園の地頭として乗り込み、その後、どいういう運命をたどったのか−を豊富な資料を紹介しながら、具体的に見せてくれます。262頁、ボリュームもたっぷりです。
「現地法人社長奮闘記」ってところでしょうか。
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2010年08月21日

チンピラの戦争

393260.jpg名古屋市博物館
「木炭バスの走ったころ−代用品に見る戦中・戦後」
A4版80頁 2000



2009/12/13の記事で同種の展覧会図録を取り上げましたね。
あちらは陶磁器製品に限ったはなしでしたが、こちらはもっと広範囲。

木炭自動車はいまでも走行可能な車体が残ってるんですね。
(もちろんオーバーホールされて、新しい部品も入っているようですけれど)

そのほかでは、「スフ」ことステープルファイバー。

代用品といえば、やはり陶磁器が中心となりますが、その点では先日紹介した図録と大きな違いはありません。
その中で目を惹くのは陶磁器製の「ハイヒールの底」。
歩きにくそうですよね。
当時ハイヒールなんて冷たい視線を浴びただろうに、そうまでして履く必要のある人ってどんな人なんでしょうか。

あと、巻末に、いささか唐突に「聞き書き篇」として
「空襲で被災した農家の戦後」と「復員した「チンピラ」の戦後」という二人の庶民の戦争体験が載っています。

「チンピラ」って・・・
でも、これがちょっと面白い。
なんだか映画「兵隊やくざ」とか「独立愚連隊」の世界です。
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2010年08月13日

ええじゃないかってなに?

39320.jpg名古屋市博物館
「ええじゃないかの不思議−信仰と娯楽のあいだ」
A4版112頁 2006



「ええじゃないか」ってホント不思議ですよね。

たかだか150年前の出来事で、あれだけ大きな事件で、記録もいっぱい残っているのに、結局なんだかわからない。

「ええじゃないか」がはじまったのは三河で、伊勢神宮との関連もあることゆえ、名古屋近辺とは因縁の深い事件です。

この図録では「馬の塔」「梵天」「お鍬まつり」という、尾張・三河の祭礼行事−仮装や作り物も登場する・周期性がある−との関係性も探っています。

でも、結局「ええじゃないか」がどういう経緯でおこり、何のためだったのか−はわからない。

それでも視覚史料が豊富に収録されているので、仮装・作り物など沸き返る雰囲気を感ずることができ、その意味でとても面白い図録です。

なお、「ええじゃないか」関連の展覧会図録としてはほかに
「世の中変わればええじゃないか−幕末の民衆」(兵庫県立歴史博物館 平9)
「おかげまいりとええじゃないか」(豊橋市立美術博物館 2003)
があります。

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2010年05月16日

「海防」に取り憑かれた時代

37917.jpg日立市郷土博物館
「水戸藩の海防史跡をたどる」
A4版24頁 2009



「海防史跡」、東京では2つ残った「お台場」がよく知られています。
御台場や砲台跡は、案外各地に残っているようで、ペリー来航前後、日本中が取り憑かれたように「海防」に熱中していた様子を窺い知ることができます。

でも旧水戸藩領にはこんなにたくさんの史跡が残っていたとは知りませんでした。
なんと「海防城」まで造っていたのですね。

まあ徳川斉昭といえば、日本中が「海防」に必死だった時代のオピニオンリーダーですから当然といえば当然か。

結局、江戸湾のお台場が一発の砲弾も撃つことなく廃止されるように「海防遺跡」は、何の役にもたたなかったわけです。
「海防城」も結局は天狗党の乱に巻き込まれて「落城」してしまう。
そんな顛末を知ることができるとっても面白い図録です。
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2009年12月13日

陶磁器の栓抜き

36646.jpg瑞浪陶磁資料館
「戦時下の陶磁器代用品」
B5版47頁 昭60



戦時中、物資が不足して様々な代用品がつくられた−という話はよく聞きます。
一番有名なのはガソリンの替わりの木炭自動車。
「蕎麦でつくった寿司」(?!)というのを写真で見たことありますが、文章ではちょっと説明しづらいですね。

金属が不足しているので、陶磁器なら固いからイイだろ!−という安直な発想でつくった品々を集めた展覧会。
「だからどうした」と言われればそれまでですが、でも面白いです。

・硬貨−これはよくわかります。
・アイロン、ストーブ、ガスコンロ−この辺もなんとなくわかる。
・ナイフ、フォーク−ちょっと使いにくいのでは。
・ペン、ペーパーナイフ−これは役に立つのだろうか。
・栓抜き−別に問題はないだろうけど、ヘンな感じ。
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2009年12月06日

寺子屋のこと

36169.jpg八潮市立資料館
「寺子屋−地域の情報センター」
B5版55頁 平7



時代劇ではおなじみだけれども、実際のところはよくわからない−というもの、結構あります。
私など、その筆頭に寺子屋をあげたい。
時代劇では貧乏浪人が、行儀の悪い悪童たちに習字をさせている−という場面が「お約束」ですが、ホントにそうなのでしょうか?

寺子屋をテーマとした展覧会ってありそうでなかなかありません。
埼玉県八潮市には、名主が開いた寺子屋「尚古堂」の資料がよく残っており、その資料を中心とした大変興味深い企画展です。

寺子屋の師匠ってどんな人?
江戸時代を前期・中期・後期・末期にわけ、埼玉県内の寺子屋師匠の出身階層を示した表が掲載されています。
これを見ると、やはり僧侶が圧倒的に多いことがわかります。
寺子屋の名は伊達ではないのだ。
貧乏浪人は案外少ない。もっともこれは江戸に行けばまた違うかもしれないですね。
また、江戸時代末期になると女性の師匠も結構いる。
これはきっと「女子校」があった−ということでしょう。

寺子屋で何を習う?
一番最初は数字→いろは→東海道の宿駅名→人名によく使われる漢字→干支の漢字と過程が進み、やがて日本史ファンならおなじみの「乍恐以書付奉願上候」(恐れながら書き付けをもって・・・)といった「定型文」の数々を頭に叩き込んでゆくのです。
これはなかなかもって実用的。

とまあ、こんな面白い話題満載の図録です。
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2009年11月29日

聖と賤の不思議

36703.jpg大阪人権歴史資料館
「猿の文化史」
B5版74頁 1992



このブログの筆者は動物好きで、イヌ、鳥、馬、鹿に続いて猿の登場です。
猿は現代人、少なくとも平野部に暮らす現代日本人には、縁遠い感じですが、昔はもっと身近な存在だったのでしょう。
この図録によると、狩人たちの間では「猿を撃つと産子にたたる」「火事になる」という言い伝えがあったとか。
やはり人間に一番近い動物として、何か特別な感じがあったのでしょうね。
それゆえ、山王信仰や庚申信仰でよく知られているように、神の使いとして大切にされてきたのです。
聖なる存在である猿が、祝い事の席で舞う−これが「猿回し」の起源だそうです。
ところが江戸時代には、関東では猿飼が非人頭弾左衛門の支配とされ、賤民とされてしまう。
前にも書きましたが、「聖」と「賤」が裏表という現象がここにもあるようです。
posted by 氷川書房 at 14:40| この図録が面白い!
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