国立歴史民俗博物館
異界万華鏡展−あの世・妖怪・占い
A4版207頁 2001
前回とりあげた安倍晴明、こちらの図録にも出てきます。
こちらは「不思議な力」とともに日本人にとっての「あの世」に焦点を当てた展覧会。民俗学の視点から日本文化における不思議な「異界」の全貌を見渡そうという展覧会です。
歴博の図録を取り上げるたびに書いているフレーズですが、
豊富な資料を駆使して、大変要領よくまとめられています。
「占い」は「占(裏)を読む」こと、「表の世界」に対する「裏の世界」にわけいっていく行為だとか。
「辻占」の辻は交差点、異界と人間界との境界なのだそうです。
「裏の世界」とは、あるときは異界であり、あるときは未来であり、あるときはモノやヒトの本質なのかもしれません。
2008年02月16日
不思議な力を持つ人たち
大坂人権博物館
「安倍晴明の虚像と実像展−語られた歴史・由緒と被差別民」
A4版82頁 2003
これまた面白そうなテーマです。
中世から現代にいたるまで「不思議な力」の象徴として扱われてきた安倍晴明。
いったいなぜ安倍晴明が伝説化されていったのか−を探っていく展覧会です。
答えを言ってしまうと、晴明像をつくりあげていったのは、民間の陰陽師たち。
「宮廷に遣えて様ざまな儀礼や儀式に関与したり暦をつくったりする陰陽師以外にも、民間で庶民の求めに応じて吉凶占いや祓いなどを生業とする陰陽師がいた」とのこと。
不思議な力を持つ人たちは、怖れの対象でもあり、差別の標的でもあった−という人間性の本質に関わるテーマがここにも出てまいります。
「安倍晴明の虚像と実像展−語られた歴史・由緒と被差別民」
A4版82頁 2003
これまた面白そうなテーマです。
中世から現代にいたるまで「不思議な力」の象徴として扱われてきた安倍晴明。
いったいなぜ安倍晴明が伝説化されていったのか−を探っていく展覧会です。
答えを言ってしまうと、晴明像をつくりあげていったのは、民間の陰陽師たち。
「宮廷に遣えて様ざまな儀礼や儀式に関与したり暦をつくったりする陰陽師以外にも、民間で庶民の求めに応じて吉凶占いや祓いなどを生業とする陰陽師がいた」とのこと。
不思議な力を持つ人たちは、怖れの対象でもあり、差別の標的でもあった−という人間性の本質に関わるテーマがここにも出てまいります。
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2008年02月09日
支配のカタチ
大坂人権博物館
「高札展−支配と自治の最前線」
A4版98頁 1998
高札の展覧会は珍しいですね。
同館の朝治武氏も
「これまで博物館で特別展としてはテーマとならなかった」
と述べておられます。
初めて−ということですね。
内容は、けっこう専門的なのですが、私には以下のくだりが一番印象に残りました。
高札とは
「高札を掲示するということ自体、また高札場が幕府の威光を象徴するために絢爛豪華であることなどが重視されてきた」
なるほど。
たしかに掲示される高札の内容は江戸期を通じて大体決まっていたようで、あらためて読む人などいなかったかもしれません。
読ますための高札でなく、高々と掲示することに意味がある−というわけです。
そして、「高札は多大の経費を必要とした」ようです。
経費は支配側と町・村などが分担して負担したようですが、これも意外な事実でした。
「高札展−支配と自治の最前線」
A4版98頁 1998
高札の展覧会は珍しいですね。
同館の朝治武氏も
「これまで博物館で特別展としてはテーマとならなかった」
と述べておられます。
初めて−ということですね。
内容は、けっこう専門的なのですが、私には以下のくだりが一番印象に残りました。
高札とは
「高札を掲示するということ自体、また高札場が幕府の威光を象徴するために絢爛豪華であることなどが重視されてきた」
なるほど。
たしかに掲示される高札の内容は江戸期を通じて大体決まっていたようで、あらためて読む人などいなかったかもしれません。
読ますための高札でなく、高々と掲示することに意味がある−というわけです。
そして、「高札は多大の経費を必要とした」ようです。
経費は支配側と町・村などが分担して負担したようですが、これも意外な事実でした。
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2008年02月05日
合戦の主役
馬の博物館
「戦国騎馬残照展」
B5版62頁 昭63
なんだか小説のタイトルのようですね。
合戦といえば馬なくして成り立ちません。
日本史のなかで最も重要な動物、なかんずく戦国時代では、時代の主役といっても良いかも知れません。
そのわりには、一般向けの参考書は少ないのです。
「むかしのサムライの乗ってた馬はいまのサラブレッドよりはずっと小さかったんだよ」という話はよく聞かされます。
では実際どれくらいの大きさだったのか。
この図録では数少ない中世の馬骨の発掘例から、馬高の平均値129cmという研究結果を紹介しています。
現代の基準では馬高148cm以下をポニーというそうで、「この遺跡(鎌倉・材木座:氷川注)の馬は、すべてポニーだった」そうです。
そのほか、騎馬武者は合戦では具体的にどのように戦ったのか、馬をどうやって訓練したのか−など、比較的薄い図録ですが、興味深い内容満載です。
「戦国騎馬残照展」
B5版62頁 昭63
なんだか小説のタイトルのようですね。
合戦といえば馬なくして成り立ちません。
日本史のなかで最も重要な動物、なかんずく戦国時代では、時代の主役といっても良いかも知れません。
そのわりには、一般向けの参考書は少ないのです。
「むかしのサムライの乗ってた馬はいまのサラブレッドよりはずっと小さかったんだよ」という話はよく聞かされます。
では実際どれくらいの大きさだったのか。
この図録では数少ない中世の馬骨の発掘例から、馬高の平均値129cmという研究結果を紹介しています。
現代の基準では馬高148cm以下をポニーというそうで、「この遺跡(鎌倉・材木座:氷川注)の馬は、すべてポニーだった」そうです。
そのほか、騎馬武者は合戦では具体的にどのように戦ったのか、馬をどうやって訓練したのか−など、比較的薄い図録ですが、興味深い内容満載です。
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