北海道開拓記念館
「山丹交易と蝦夷錦展」
A4版64頁 平8
「蝦夷錦」って織物、知ってますか?
本来は清朝の官服。
ほら、映画「ラストエンペラー」で西太后や溥儀が絹に豪華な刺繍のほどこされたガウンみたいな中国服着てるでしょう?たぶん、あの類だと思うんです。
で、清朝は沿海州の少数民族をコントロールするため、それぞれの部族の有力者に官職を与えるわけです。有力者たちも「肩書き」が欲しかったんでしょうね。
そして、官職に応じて豪華な刺繍入りの官服を与えた。
辺境地帯では、この豪華な絹服の価値は高く、対岸の北海道・樺太のアイヌ人たちに売られていった。アイヌの族長たちは礼服として珍重し、さらにアイヌ人から松前の和人たちの手に渡る。
アイヌから入ってきたから日本の人たちは「蝦夷錦」と呼んで珍重した。
この図録を読んでいて疑問に思ったのですが、日本国内で需要があるなら、なぜ長崎経由で直接中国から輸入しなかったのかな?
理由は様々あるんでしょうが、この図録によると「蝦夷錦」と名付けたのは松前の人たちだとか。
本当は「清錦」なわけだが、それを言っちゃあアイヌ−沿海州のツングース系部族−清帝国の密貿易がバレてしまう。
もしかすると長崎経由の正式貿易ルートに利益を横取りされるのを怖れて「蝦夷」の物産であることを強調したのかも、なんて思ってしまいます。
なんか、松前藩ってアイヌ貿易でサケの数をごまかしたり、悪者のイメージが取れない。
いや、それはボクだけの思いこみですね。スミマセン・・・・
かつてオホーツク海周辺地域は文化的に一体で、「環オホーツク文化圏」として独立した存在だった。
蝦夷錦の交易ルートも、その文化圏あっての話。
そこに中国と日本が、さらにはロシアが入り込んできて文化圏をズタズタにしてしまう。
「蝦夷錦」はそこに不自然なカタチで現れたフシギなモノ、そんな気がします。
なお、このテーマでは他に
「蝦夷錦と北方交易」青森県立郷土館 平16
「北のシルクロード蝦夷錦の来た道」 札幌市中央図書館 平3
があります。