2009年04月14日

行楽の裏に国家あり

34210.jpgパルテノン多摩歴史ミュージアム
「郊外行楽地の誕生−ハイキングと史蹟めぐりの社会史」
A4版95頁 2002



いよいよ行楽シーズン到来ですね。
その「行楽」というものが、社会の要請のなかで徐々に広まっていったものだ−ということを丁寧に説明してくれるのがこの企画展図録。

まず、明治末から大正にかけて「名所旧跡」めぐりが流行します。
その影には「郷土愛」を育成しようとする国家的意志があったこと。
そして昭和に入ると「ハイキング」。
ハイキングは、もともとボーイスカウトの用語だったようで、昭和5年頃から広まりだしたそうです。
その裏にはもちろん、ナチスなどの影響を受けて「国家総動員」に傾いていく中で、「体力増強」を目的とした「健全娯楽」を普及させようという意図があったこと。

ところで「奥多摩」という言葉は大正末年に登場した比較的新しい言葉だったって知ってました?
私、この本ではじめて知りました。
なんと「奥多摩」の「奥」は「奥の細道」の「奥」。
その誕生秘話は本書を読んでのお楽しみ。
posted by 氷川書房 at 10:00| この図録が面白い!
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