「デザインの揺籃時代展−東京高等工芸学校の歩み〔1〕」
1996 A4版135頁

松戸市立博物館
「視覚の昭和 一九三〇−四〇年代−東京高等工芸学校の歩み〔2〕」
1998 A4版167頁

戦前のグラフィックデザイン・工業デザイン、そしてその国家宣伝との関わり
このテーマに関心を持つ人は多いのでしょう、その関係の文献は比較的多いです。
東京高等工芸学校は芝浦の校舎が空襲で被災した後、松戸に移転し、そのまま千葉大学に編入された経緯から松戸市教育委員会も関係資料を収蔵しているようです。
その縁での連続企画展の図録が上記です。
直接関係ない話で恐縮ですが、先日多川精一氏の著作を読んでいたら、こんなことが書かれていました。
多川氏が、戦時中のプロパガンダ誌「FRONT」で有名な東方社に勤めていたのは周知ですが、その頃、アメリカ側のプロパガンダ誌「VICTORY」を手にする機会があったそうです。
そして東方社のスタッフが衝撃を受けたのが、その用紙だったとか。
「FRONT」は復刻版も出て、その斬新なデザイン力には私も驚きましたが、写真をきれいに刷るためには上質の重い紙を使わねばならなかったそうです。
ところがアメリカ側の用紙は、写真のりが良いのにもかかわらず極めて軽くできていた
そのことがショックだったというのです。
満洲から太平洋戦線まで広範囲にバラまくのが目的の雑誌なのに、「FRONT」は重くて航空輸送に不利だった
というわけです。
なるほどプロというのは、そういうところを見るものなのか。
そういえば、当時の日本の軍用機も設計上の性能は優れているのに、工芸品的に精緻なメカニズムゆえに荒っぽい前線では故障や不具合が続出して設計上の性能が発揮できなかった−そんな話とも相通ずるものがあります。
現代に通ずる革新性と、それを支える基礎技術の不足−そんなことを考えながら、この2冊の図録を眺めています。