埼玉県平和資料館
「テーマ展 戦争と動物たち」
A4版45頁 平23
毎年この時期、戦争を扱ったドキュメンタリーなどを見かけることが多いですね。
もう5〜6年前になりますかしら、クリント・イーストウッド監督が太平洋戦争の激戦・硫黄島攻防戦をテーマに連作映画を撮ったのを覚えてませんか?
その一作「硫黄島からの手紙」で、こんなシーンがありました。
日本のどこかの町、憲兵が歩いていると、とある家の飼い犬がワンワンと吠える。
憲兵は有無を言わさず犬を射殺する。
そんなバカな!! いくらなんでもそんなこと現実にあるはずない。ハリウッド映画はめちゃくちゃ描きよるなぁ
と観ていた私は思いました。
が、あながち見当違いでもない−ことを、この図録で知りました。
「犬の献納運動」
そんなものがあったんですね。初めて知りました。
誰がそんなこと考え出したのか。
飼い犬の献納を呼びかける当時のパンフが収録されています。
そこには「犬の特別攻撃隊を編成して」なんて書いてあるけど、まさか本気でそんなこと考えていたわけではあるまい。
そうして集められた数十万頭の犬は
「人目につかないところで撲殺された」・・・・
いったいなんの為に・・・・
「象の花子さん」だけではない、数え切れない動物たちを襲った悲劇を伝える資料集です。
処分された猛獣たち、戦場に散った軍馬・軍犬たち、浮かばれない何十万・何百万の命。それを知ったところでボクにはどうにもできないけれど、でも、知っているからこそ思いを馳せることもできる。
知ることは大切なんです。。。
2014年08月15日
動物たちへのレクイエム
posted by 氷川書房 at 00:00| この図録が面白い!
2014年08月06日
北の海を渡って
北海道開拓記念館
「山丹交易と蝦夷錦展」
A4版64頁 平8
「蝦夷錦」って織物、知ってますか?
本来は清朝の官服。
ほら、映画「ラストエンペラー」で西太后や溥儀が絹に豪華な刺繍のほどこされたガウンみたいな中国服着てるでしょう?たぶん、あの類だと思うんです。
で、清朝は沿海州の少数民族をコントロールするため、それぞれの部族の有力者に官職を与えるわけです。有力者たちも「肩書き」が欲しかったんでしょうね。
そして、官職に応じて豪華な刺繍入りの官服を与えた。
辺境地帯では、この豪華な絹服の価値は高く、対岸の北海道・樺太のアイヌ人たちに売られていった。アイヌの族長たちは礼服として珍重し、さらにアイヌ人から松前の和人たちの手に渡る。
アイヌから入ってきたから日本の人たちは「蝦夷錦」と呼んで珍重した。
この図録を読んでいて疑問に思ったのですが、日本国内で需要があるなら、なぜ長崎経由で直接中国から輸入しなかったのかな?
理由は様々あるんでしょうが、この図録によると「蝦夷錦」と名付けたのは松前の人たちだとか。
本当は「清錦」なわけだが、それを言っちゃあアイヌ−沿海州のツングース系部族−清帝国の密貿易がバレてしまう。
もしかすると長崎経由の正式貿易ルートに利益を横取りされるのを怖れて「蝦夷」の物産であることを強調したのかも、なんて思ってしまいます。
なんか、松前藩ってアイヌ貿易でサケの数をごまかしたり、悪者のイメージが取れない。
いや、それはボクだけの思いこみですね。スミマセン・・・・
かつてオホーツク海周辺地域は文化的に一体で、「環オホーツク文化圏」として独立した存在だった。
蝦夷錦の交易ルートも、その文化圏あっての話。
そこに中国と日本が、さらにはロシアが入り込んできて文化圏をズタズタにしてしまう。
「蝦夷錦」はそこに不自然なカタチで現れたフシギなモノ、そんな気がします。
なお、このテーマでは他に
「蝦夷錦と北方交易」青森県立郷土館 平16
「北のシルクロード蝦夷錦の来た道」 札幌市中央図書館 平3
があります。
「山丹交易と蝦夷錦展」
A4版64頁 平8
「蝦夷錦」って織物、知ってますか?
本来は清朝の官服。
ほら、映画「ラストエンペラー」で西太后や溥儀が絹に豪華な刺繍のほどこされたガウンみたいな中国服着てるでしょう?たぶん、あの類だと思うんです。
で、清朝は沿海州の少数民族をコントロールするため、それぞれの部族の有力者に官職を与えるわけです。有力者たちも「肩書き」が欲しかったんでしょうね。
そして、官職に応じて豪華な刺繍入りの官服を与えた。
辺境地帯では、この豪華な絹服の価値は高く、対岸の北海道・樺太のアイヌ人たちに売られていった。アイヌの族長たちは礼服として珍重し、さらにアイヌ人から松前の和人たちの手に渡る。
アイヌから入ってきたから日本の人たちは「蝦夷錦」と呼んで珍重した。
この図録を読んでいて疑問に思ったのですが、日本国内で需要があるなら、なぜ長崎経由で直接中国から輸入しなかったのかな?
理由は様々あるんでしょうが、この図録によると「蝦夷錦」と名付けたのは松前の人たちだとか。
本当は「清錦」なわけだが、それを言っちゃあアイヌ−沿海州のツングース系部族−清帝国の密貿易がバレてしまう。
もしかすると長崎経由の正式貿易ルートに利益を横取りされるのを怖れて「蝦夷」の物産であることを強調したのかも、なんて思ってしまいます。
なんか、松前藩ってアイヌ貿易でサケの数をごまかしたり、悪者のイメージが取れない。
いや、それはボクだけの思いこみですね。スミマセン・・・・
かつてオホーツク海周辺地域は文化的に一体で、「環オホーツク文化圏」として独立した存在だった。
蝦夷錦の交易ルートも、その文化圏あっての話。
そこに中国と日本が、さらにはロシアが入り込んできて文化圏をズタズタにしてしまう。
「蝦夷錦」はそこに不自然なカタチで現れたフシギなモノ、そんな気がします。
なお、このテーマでは他に
「蝦夷錦と北方交易」青森県立郷土館 平16
「北のシルクロード蝦夷錦の来た道」 札幌市中央図書館 平3
があります。
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2014年03月10日
伝統と革新と
横浜開港資料館
「日本の赤煉瓦展」
B5版71頁 昭60
クラシックな建物を「赤レンガ」って呼ぶこと、多いです。
その町その町に「赤レンガ」がある。
札幌で「赤レンガ」といえば北海道庁本館。
大阪なら中之島の公会堂。
東京ならやっぱり東京駅かな?
よく見るとレンガじゃなくてテラコッタタイルだったりするのですが、それもこれも、ひとっ括りに「赤レンガ」。
明治の頃に忽然と登場した近代建築、当時の人から見たら巨大で、ズッシリしてて、強烈な印象だったのではないかしら?
その表面を覆っていた「赤レンガ」が日本人の心に深く焼き付いたのでしょうね。
日本の近代化に強烈な存在感を放っていながら、赤レンガの研究書ってあんまり見ない。
展覧会も、この横浜開港資料館が唯一ではないかしら?
それゆえ資料的価値もとっても高くてなかなか手に入らないのがこの図録です。
圧巻は、約100種類ものレンガに押された刻印の画像。
製造所を示すマークや略字なんですが、こんなに多種多様なレンガが日本各地で製造されていたとは知りませんでした。
意外だったのは、赤レンガって、はじめは瓦職人が作っていた−という事実。
今でも埼玉県深谷市には「ホフマン窯」という西洋式のレンガ製造設備が残っているように、レンガ製造って日本の伝統技術とは関係なく、ヨーロッパからポンッと輸入されたものだとばっかり思っていた。
でも、実際は、江戸時代の職人技と繋がっていたんだな−−そんなことを知るだけでもとっても楽しくて為になる図録でした。
追記
「日本の赤煉瓦展」
B5版71頁 昭60
クラシックな建物を「赤レンガ」って呼ぶこと、多いです。
その町その町に「赤レンガ」がある。
札幌で「赤レンガ」といえば北海道庁本館。
大阪なら中之島の公会堂。
東京ならやっぱり東京駅かな?
よく見るとレンガじゃなくてテラコッタタイルだったりするのですが、それもこれも、ひとっ括りに「赤レンガ」。
明治の頃に忽然と登場した近代建築、当時の人から見たら巨大で、ズッシリしてて、強烈な印象だったのではないかしら?
その表面を覆っていた「赤レンガ」が日本人の心に深く焼き付いたのでしょうね。
日本の近代化に強烈な存在感を放っていながら、赤レンガの研究書ってあんまり見ない。
展覧会も、この横浜開港資料館が唯一ではないかしら?
それゆえ資料的価値もとっても高くてなかなか手に入らないのがこの図録です。
圧巻は、約100種類ものレンガに押された刻印の画像。
製造所を示すマークや略字なんですが、こんなに多種多様なレンガが日本各地で製造されていたとは知りませんでした。
意外だったのは、赤レンガって、はじめは瓦職人が作っていた−という事実。
今でも埼玉県深谷市には「ホフマン窯」という西洋式のレンガ製造設備が残っているように、レンガ製造って日本の伝統技術とは関係なく、ヨーロッパからポンッと輸入されたものだとばっかり思っていた。
でも、実際は、江戸時代の職人技と繋がっていたんだな−−そんなことを知るだけでもとっても楽しくて為になる図録でした。
追記
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2011年01月25日
がんばれ鎌倉御家人!
横浜市歴史博物館
「鎌倉御家人 平子氏の西遷・北遷」
A4版262頁 2003
むかしの出来事を「いまに例えるなら・・・」って、よくやりますよね。
例えば江戸時代、将軍家の家来(「直参」とか「幕臣」とか)と御三家・親藩の家来との関係って、なんか微妙ですよね。とくに幕末、水戸・尾張・越前家なんかは、反幕的な行動を取りますが、これなんか「子会社に移籍を命じられた社員が、本社に残って威張っている社員に対して抱く反感みたいなもの?」なんて、現代に置き換えて勝手な妄想をふくらませてみたり。
はなし変わって。
戦国武将には、もともと鎌倉時代に関東から移住してきたっていう来歴を持つ家が多いですよね。毛利家しかり。大内家しかり。長尾家しかり。
簡単に「移住」って言うけれど、地方が違えば言葉もなかなか通じない時代、移住先は決して友好的ではなかったろうし、大変なことだったろうな−と思うわけです。実際のところ、どんな様子だったのだろう?
そこで「いまに例えるなら」ですよ。
「新しく買収した海外の子会社に、社長として、数人の側近とともに乗り込む!」って感じなのでしょうか?
そのへんのことを、一般向けに、情景が目に浮かぶような形で紹介してくれる本って案外ないんですよね。
この図録は、相模国の御家人・平子氏が、周防国と越後国のとある荘園の地頭として乗り込み、その後、どいういう運命をたどったのか−を豊富な資料を紹介しながら、具体的に見せてくれます。262頁、ボリュームもたっぷりです。
「現地法人社長奮闘記」ってところでしょうか。
「鎌倉御家人 平子氏の西遷・北遷」
A4版262頁 2003
むかしの出来事を「いまに例えるなら・・・」って、よくやりますよね。
例えば江戸時代、将軍家の家来(「直参」とか「幕臣」とか)と御三家・親藩の家来との関係って、なんか微妙ですよね。とくに幕末、水戸・尾張・越前家なんかは、反幕的な行動を取りますが、これなんか「子会社に移籍を命じられた社員が、本社に残って威張っている社員に対して抱く反感みたいなもの?」なんて、現代に置き換えて勝手な妄想をふくらませてみたり。
はなし変わって。
戦国武将には、もともと鎌倉時代に関東から移住してきたっていう来歴を持つ家が多いですよね。毛利家しかり。大内家しかり。長尾家しかり。
簡単に「移住」って言うけれど、地方が違えば言葉もなかなか通じない時代、移住先は決して友好的ではなかったろうし、大変なことだったろうな−と思うわけです。実際のところ、どんな様子だったのだろう?
そこで「いまに例えるなら」ですよ。
「新しく買収した海外の子会社に、社長として、数人の側近とともに乗り込む!」って感じなのでしょうか?
そのへんのことを、一般向けに、情景が目に浮かぶような形で紹介してくれる本って案外ないんですよね。
この図録は、相模国の御家人・平子氏が、周防国と越後国のとある荘園の地頭として乗り込み、その後、どいういう運命をたどったのか−を豊富な資料を紹介しながら、具体的に見せてくれます。262頁、ボリュームもたっぷりです。
「現地法人社長奮闘記」ってところでしょうか。
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2010年08月21日
チンピラの戦争
名古屋市博物館
「木炭バスの走ったころ−代用品に見る戦中・戦後」
A4版80頁 2000
2009/12/13の記事で同種の展覧会図録を取り上げましたね。
あちらは陶磁器製品に限ったはなしでしたが、こちらはもっと広範囲。
木炭自動車はいまでも走行可能な車体が残ってるんですね。
(もちろんオーバーホールされて、新しい部品も入っているようですけれど)
そのほかでは、「スフ」ことステープルファイバー。
代用品といえば、やはり陶磁器が中心となりますが、その点では先日紹介した図録と大きな違いはありません。
その中で目を惹くのは陶磁器製の「ハイヒールの底」。
歩きにくそうですよね。
当時ハイヒールなんて冷たい視線を浴びただろうに、そうまでして履く必要のある人ってどんな人なんでしょうか。
あと、巻末に、いささか唐突に「聞き書き篇」として
「空襲で被災した農家の戦後」と「復員した「チンピラ」の戦後」という二人の庶民の戦争体験が載っています。
「チンピラ」って・・・
でも、これがちょっと面白い。
なんだか映画「兵隊やくざ」とか「独立愚連隊」の世界です。
「木炭バスの走ったころ−代用品に見る戦中・戦後」
A4版80頁 2000
2009/12/13の記事で同種の展覧会図録を取り上げましたね。
あちらは陶磁器製品に限ったはなしでしたが、こちらはもっと広範囲。
木炭自動車はいまでも走行可能な車体が残ってるんですね。
(もちろんオーバーホールされて、新しい部品も入っているようですけれど)
そのほかでは、「スフ」ことステープルファイバー。
代用品といえば、やはり陶磁器が中心となりますが、その点では先日紹介した図録と大きな違いはありません。
その中で目を惹くのは陶磁器製の「ハイヒールの底」。
歩きにくそうですよね。
当時ハイヒールなんて冷たい視線を浴びただろうに、そうまでして履く必要のある人ってどんな人なんでしょうか。
あと、巻末に、いささか唐突に「聞き書き篇」として
「空襲で被災した農家の戦後」と「復員した「チンピラ」の戦後」という二人の庶民の戦争体験が載っています。
「チンピラ」って・・・
でも、これがちょっと面白い。
なんだか映画「兵隊やくざ」とか「独立愚連隊」の世界です。
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2010年08月13日
ええじゃないかってなに?
名古屋市博物館
「ええじゃないかの不思議−信仰と娯楽のあいだ」
A4版112頁 2006
「ええじゃないか」ってホント不思議ですよね。
たかだか150年前の出来事で、あれだけ大きな事件で、記録もいっぱい残っているのに、結局なんだかわからない。
「ええじゃないか」がはじまったのは三河で、伊勢神宮との関連もあることゆえ、名古屋近辺とは因縁の深い事件です。
この図録では「馬の塔」「梵天」「お鍬まつり」という、尾張・三河の祭礼行事−仮装や作り物も登場する・周期性がある−との関係性も探っています。
でも、結局「ええじゃないか」がどういう経緯でおこり、何のためだったのか−はわからない。
それでも視覚史料が豊富に収録されているので、仮装・作り物など沸き返る雰囲気を感ずることができ、その意味でとても面白い図録です。
なお、「ええじゃないか」関連の展覧会図録としてはほかに
「世の中変わればええじゃないか−幕末の民衆」(兵庫県立歴史博物館 平9)
「おかげまいりとええじゃないか」(豊橋市立美術博物館 2003)
があります。
「ええじゃないかの不思議−信仰と娯楽のあいだ」
A4版112頁 2006
「ええじゃないか」ってホント不思議ですよね。
たかだか150年前の出来事で、あれだけ大きな事件で、記録もいっぱい残っているのに、結局なんだかわからない。
「ええじゃないか」がはじまったのは三河で、伊勢神宮との関連もあることゆえ、名古屋近辺とは因縁の深い事件です。
この図録では「馬の塔」「梵天」「お鍬まつり」という、尾張・三河の祭礼行事−仮装や作り物も登場する・周期性がある−との関係性も探っています。
でも、結局「ええじゃないか」がどういう経緯でおこり、何のためだったのか−はわからない。
それでも視覚史料が豊富に収録されているので、仮装・作り物など沸き返る雰囲気を感ずることができ、その意味でとても面白い図録です。
なお、「ええじゃないか」関連の展覧会図録としてはほかに
「世の中変わればええじゃないか−幕末の民衆」(兵庫県立歴史博物館 平9)
「おかげまいりとええじゃないか」(豊橋市立美術博物館 2003)
があります。
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2010年05月16日
「海防」に取り憑かれた時代
日立市郷土博物館
「水戸藩の海防史跡をたどる」
A4版24頁 2009
「海防史跡」、東京では2つ残った「お台場」がよく知られています。
御台場や砲台跡は、案外各地に残っているようで、ペリー来航前後、日本中が取り憑かれたように「海防」に熱中していた様子を窺い知ることができます。
でも旧水戸藩領にはこんなにたくさんの史跡が残っていたとは知りませんでした。
なんと「海防城」まで造っていたのですね。
まあ徳川斉昭といえば、日本中が「海防」に必死だった時代のオピニオンリーダーですから当然といえば当然か。
結局、江戸湾のお台場が一発の砲弾も撃つことなく廃止されるように「海防遺跡」は、何の役にもたたなかったわけです。
「海防城」も結局は天狗党の乱に巻き込まれて「落城」してしまう。
そんな顛末を知ることができるとっても面白い図録です。
「水戸藩の海防史跡をたどる」
A4版24頁 2009
「海防史跡」、東京では2つ残った「お台場」がよく知られています。
御台場や砲台跡は、案外各地に残っているようで、ペリー来航前後、日本中が取り憑かれたように「海防」に熱中していた様子を窺い知ることができます。
でも旧水戸藩領にはこんなにたくさんの史跡が残っていたとは知りませんでした。
なんと「海防城」まで造っていたのですね。
まあ徳川斉昭といえば、日本中が「海防」に必死だった時代のオピニオンリーダーですから当然といえば当然か。
結局、江戸湾のお台場が一発の砲弾も撃つことなく廃止されるように「海防遺跡」は、何の役にもたたなかったわけです。
「海防城」も結局は天狗党の乱に巻き込まれて「落城」してしまう。
そんな顛末を知ることができるとっても面白い図録です。
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2009年12月13日
陶磁器の栓抜き
瑞浪陶磁資料館
「戦時下の陶磁器代用品」
B5版47頁 昭60
戦時中、物資が不足して様々な代用品がつくられた−という話はよく聞きます。
一番有名なのはガソリンの替わりの木炭自動車。
「蕎麦でつくった寿司」(?!)というのを写真で見たことありますが、文章ではちょっと説明しづらいですね。
金属が不足しているので、陶磁器なら固いからイイだろ!−という安直な発想でつくった品々を集めた展覧会。
「だからどうした」と言われればそれまでですが、でも面白いです。
・硬貨−これはよくわかります。
・アイロン、ストーブ、ガスコンロ−この辺もなんとなくわかる。
・ナイフ、フォーク−ちょっと使いにくいのでは。
・ペン、ペーパーナイフ−これは役に立つのだろうか。
・栓抜き−別に問題はないだろうけど、ヘンな感じ。
「戦時下の陶磁器代用品」
B5版47頁 昭60
戦時中、物資が不足して様々な代用品がつくられた−という話はよく聞きます。
一番有名なのはガソリンの替わりの木炭自動車。
「蕎麦でつくった寿司」(?!)というのを写真で見たことありますが、文章ではちょっと説明しづらいですね。
金属が不足しているので、陶磁器なら固いからイイだろ!−という安直な発想でつくった品々を集めた展覧会。
「だからどうした」と言われればそれまでですが、でも面白いです。
・硬貨−これはよくわかります。
・アイロン、ストーブ、ガスコンロ−この辺もなんとなくわかる。
・ナイフ、フォーク−ちょっと使いにくいのでは。
・ペン、ペーパーナイフ−これは役に立つのだろうか。
・栓抜き−別に問題はないだろうけど、ヘンな感じ。
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2009年12月06日
寺子屋のこと
八潮市立資料館
「寺子屋−地域の情報センター」
B5版55頁 平7
時代劇ではおなじみだけれども、実際のところはよくわからない−というもの、結構あります。
私など、その筆頭に寺子屋をあげたい。
時代劇では貧乏浪人が、行儀の悪い悪童たちに習字をさせている−という場面が「お約束」ですが、ホントにそうなのでしょうか?
寺子屋をテーマとした展覧会ってありそうでなかなかありません。
埼玉県八潮市には、名主が開いた寺子屋「尚古堂」の資料がよく残っており、その資料を中心とした大変興味深い企画展です。
寺子屋の師匠ってどんな人?
江戸時代を前期・中期・後期・末期にわけ、埼玉県内の寺子屋師匠の出身階層を示した表が掲載されています。
これを見ると、やはり僧侶が圧倒的に多いことがわかります。
寺子屋の名は伊達ではないのだ。
貧乏浪人は案外少ない。もっともこれは江戸に行けばまた違うかもしれないですね。
また、江戸時代末期になると女性の師匠も結構いる。
これはきっと「女子校」があった−ということでしょう。
寺子屋で何を習う?
一番最初は数字→いろは→東海道の宿駅名→人名によく使われる漢字→干支の漢字と過程が進み、やがて日本史ファンならおなじみの「乍恐以書付奉願上候」(恐れながら書き付けをもって・・・)といった「定型文」の数々を頭に叩き込んでゆくのです。
これはなかなかもって実用的。
とまあ、こんな面白い話題満載の図録です。
「寺子屋−地域の情報センター」
B5版55頁 平7
時代劇ではおなじみだけれども、実際のところはよくわからない−というもの、結構あります。
私など、その筆頭に寺子屋をあげたい。
時代劇では貧乏浪人が、行儀の悪い悪童たちに習字をさせている−という場面が「お約束」ですが、ホントにそうなのでしょうか?
寺子屋をテーマとした展覧会ってありそうでなかなかありません。
埼玉県八潮市には、名主が開いた寺子屋「尚古堂」の資料がよく残っており、その資料を中心とした大変興味深い企画展です。
寺子屋の師匠ってどんな人?
江戸時代を前期・中期・後期・末期にわけ、埼玉県内の寺子屋師匠の出身階層を示した表が掲載されています。
これを見ると、やはり僧侶が圧倒的に多いことがわかります。
寺子屋の名は伊達ではないのだ。
貧乏浪人は案外少ない。もっともこれは江戸に行けばまた違うかもしれないですね。
また、江戸時代末期になると女性の師匠も結構いる。
これはきっと「女子校」があった−ということでしょう。
寺子屋で何を習う?
一番最初は数字→いろは→東海道の宿駅名→人名によく使われる漢字→干支の漢字と過程が進み、やがて日本史ファンならおなじみの「乍恐以書付奉願上候」(恐れながら書き付けをもって・・・)といった「定型文」の数々を頭に叩き込んでゆくのです。
これはなかなかもって実用的。
とまあ、こんな面白い話題満載の図録です。
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2009年11月29日
聖と賤の不思議
大阪人権歴史資料館
「猿の文化史」
B5版74頁 1992
このブログの筆者は動物好きで、イヌ、鳥、馬、鹿に続いて猿の登場です。
猿は現代人、少なくとも平野部に暮らす現代日本人には、縁遠い感じですが、昔はもっと身近な存在だったのでしょう。
この図録によると、狩人たちの間では「猿を撃つと産子にたたる」「火事になる」という言い伝えがあったとか。
やはり人間に一番近い動物として、何か特別な感じがあったのでしょうね。
それゆえ、山王信仰や庚申信仰でよく知られているように、神の使いとして大切にされてきたのです。
聖なる存在である猿が、祝い事の席で舞う−これが「猿回し」の起源だそうです。
ところが江戸時代には、関東では猿飼が非人頭弾左衛門の支配とされ、賤民とされてしまう。
前にも書きましたが、「聖」と「賤」が裏表という現象がここにもあるようです。
「猿の文化史」
B5版74頁 1992
このブログの筆者は動物好きで、イヌ、鳥、馬、鹿に続いて猿の登場です。
猿は現代人、少なくとも平野部に暮らす現代日本人には、縁遠い感じですが、昔はもっと身近な存在だったのでしょう。
この図録によると、狩人たちの間では「猿を撃つと産子にたたる」「火事になる」という言い伝えがあったとか。
やはり人間に一番近い動物として、何か特別な感じがあったのでしょうね。
それゆえ、山王信仰や庚申信仰でよく知られているように、神の使いとして大切にされてきたのです。
聖なる存在である猿が、祝い事の席で舞う−これが「猿回し」の起源だそうです。
ところが江戸時代には、関東では猿飼が非人頭弾左衛門の支配とされ、賤民とされてしまう。
前にも書きましたが、「聖」と「賤」が裏表という現象がここにもあるようです。
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2009年09月19日
チャンバラヒーローの隠された過去
国立歴史民俗博物館
「民衆文化とつくられたヒーローたち−アウトローの幕末維新史」
A4版183頁 2004
「古本屋的に」言えば、歴博の図録はどれも人気が高いのですが、これはその中でも入手が難しい一冊。
「天保水滸伝」とか国定忠治とか清水次郎長とか、さすがに最近は「聞いたこともない」という若い人も増えました。
私ぐらいが、これらの名前に親しんだ最後の世代でしょうか?
博徒や侠客と呼ばれる「幕藩体制の異端児」たちがなぜ生まれたのか。
そして幕末維新の動乱の中で果たした知られざる役割。
そのあたりを丁寧に追っていきます。
清水の次郎長の敵役として知られる「黒駒の勝蔵」が勤王の志士だったって初めて知りました。
維新に先立って倒幕の挙兵を策し、戊辰戦争では官軍に加わって戦います。しかし動乱が収まると突然、博徒時代の殺人の罪を持ち出されて処刑されてしまう。
赤報隊の相楽相三だけでなく、こんな人がいっぱいいたんでしょうね。
彼らは、やがて活動写真の時代に、チャンバラヒーローとして復活しますが、そこでは政治的な毒気はすっかり抜かれていた−というわけ。
いや、この図録は面白い。人気が高いのも肯けます。
「民衆文化とつくられたヒーローたち−アウトローの幕末維新史」
A4版183頁 2004
「古本屋的に」言えば、歴博の図録はどれも人気が高いのですが、これはその中でも入手が難しい一冊。
「天保水滸伝」とか国定忠治とか清水次郎長とか、さすがに最近は「聞いたこともない」という若い人も増えました。
私ぐらいが、これらの名前に親しんだ最後の世代でしょうか?
博徒や侠客と呼ばれる「幕藩体制の異端児」たちがなぜ生まれたのか。
そして幕末維新の動乱の中で果たした知られざる役割。
そのあたりを丁寧に追っていきます。
清水の次郎長の敵役として知られる「黒駒の勝蔵」が勤王の志士だったって初めて知りました。
維新に先立って倒幕の挙兵を策し、戊辰戦争では官軍に加わって戦います。しかし動乱が収まると突然、博徒時代の殺人の罪を持ち出されて処刑されてしまう。
赤報隊の相楽相三だけでなく、こんな人がいっぱいいたんでしょうね。
彼らは、やがて活動写真の時代に、チャンバラヒーローとして復活しますが、そこでは政治的な毒気はすっかり抜かれていた−というわけ。
いや、この図録は面白い。人気が高いのも肯けます。
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2009年09月12日
郷愁の東京下町
荒川ふるさと文化館
「消えた娯楽の殿堂−君は東京球場を知っているか!?」
A4版36頁 平12
「東京スタジアム」。
典型的な東京の下町・南千住にあったオリオンズの本拠地球場。
昭和37年に完成し、10年余りで取り壊されてしまった。
私は行ったことありませんが、下町がらみの思い出話やエッセイによく登場します。
「ALWAYS三丁目の夕日」における東京タワーのように、ノスタルジーの象徴なのでしょうね。
東京タワーと違い10年余りで消えてしまったゆえに、さらに「セピア色」の記憶の中で特別な存在になっていったのかもしれません。
この東京スタジアムについてまとめた書物は他にあるのでしょうかね?
この図録では、球場の図面・写真・チケットなどの資料とともに、建設地として南千住が選ばれた経緯から、解体までを、紙数が少ないので、綿密にとはいかないが、要領よくまとめています。
類書がないだけに貴重な一冊。
「消えた娯楽の殿堂−君は東京球場を知っているか!?」
A4版36頁 平12
「東京スタジアム」。
典型的な東京の下町・南千住にあったオリオンズの本拠地球場。
昭和37年に完成し、10年余りで取り壊されてしまった。
私は行ったことありませんが、下町がらみの思い出話やエッセイによく登場します。
「ALWAYS三丁目の夕日」における東京タワーのように、ノスタルジーの象徴なのでしょうね。
東京タワーと違い10年余りで消えてしまったゆえに、さらに「セピア色」の記憶の中で特別な存在になっていったのかもしれません。
この東京スタジアムについてまとめた書物は他にあるのでしょうかね?
この図録では、球場の図面・写真・チケットなどの資料とともに、建設地として南千住が選ばれた経緯から、解体までを、紙数が少ないので、綿密にとはいかないが、要領よくまとめています。
類書がないだけに貴重な一冊。
posted by 氷川書房 at 13:24| この図録が面白い!
2009年04月14日
行楽の裏に国家あり
パルテノン多摩歴史ミュージアム
「郊外行楽地の誕生−ハイキングと史蹟めぐりの社会史」
A4版95頁 2002
いよいよ行楽シーズン到来ですね。
その「行楽」というものが、社会の要請のなかで徐々に広まっていったものだ−ということを丁寧に説明してくれるのがこの企画展図録。
まず、明治末から大正にかけて「名所旧跡」めぐりが流行します。
その影には「郷土愛」を育成しようとする国家的意志があったこと。
そして昭和に入ると「ハイキング」。
ハイキングは、もともとボーイスカウトの用語だったようで、昭和5年頃から広まりだしたそうです。
その裏にはもちろん、ナチスなどの影響を受けて「国家総動員」に傾いていく中で、「体力増強」を目的とした「健全娯楽」を普及させようという意図があったこと。
ところで「奥多摩」という言葉は大正末年に登場した比較的新しい言葉だったって知ってました?
私、この本ではじめて知りました。
なんと「奥多摩」の「奥」は「奥の細道」の「奥」。
その誕生秘話は本書を読んでのお楽しみ。
「郊外行楽地の誕生−ハイキングと史蹟めぐりの社会史」
A4版95頁 2002
いよいよ行楽シーズン到来ですね。
その「行楽」というものが、社会の要請のなかで徐々に広まっていったものだ−ということを丁寧に説明してくれるのがこの企画展図録。
まず、明治末から大正にかけて「名所旧跡」めぐりが流行します。
その影には「郷土愛」を育成しようとする国家的意志があったこと。
そして昭和に入ると「ハイキング」。
ハイキングは、もともとボーイスカウトの用語だったようで、昭和5年頃から広まりだしたそうです。
その裏にはもちろん、ナチスなどの影響を受けて「国家総動員」に傾いていく中で、「体力増強」を目的とした「健全娯楽」を普及させようという意図があったこと。
ところで「奥多摩」という言葉は大正末年に登場した比較的新しい言葉だったって知ってました?
私、この本ではじめて知りました。
なんと「奥多摩」の「奥」は「奥の細道」の「奥」。
その誕生秘話は本書を読んでのお楽しみ。
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2009年04月07日
猫は神の使い?
埼玉県立博物館
「音のかたち−日本の音を探る」
B5版64頁 平3
音をめぐる企画展の話題、以前も一度触れたことがあります。
今回の図録は「音の出るオールスター大集合」のような感じで、吹く音・振る音・弾く音・打つ音・神の音・仏の音・戦いの音・今に生きる伝統の音−という分野ごとに、縄文時代の土笛から銅鐸・鰐口などなど音の出る資料が目白押しです。
それぞれにとても興味深いのですが、その中からひとつ。
古墳時代に大陸から入った青銅製の馬具のなかに鈴のようなものがあったそうです。「権威の音」、荘厳さを演出するための道具だったようですが、これが神社の鈴となったのだそうです。そういえば、神の使いである巫女もなにか鈴のついた道具を持っていますね。
猫の首輪に鈴が付いていることがありますが、あれは単に居場所を示すためだけなんでしょうかね?犬の首輪には鈴はついていませんよね?
それぞれの資料が実際にどんな音がするのか−CDの付録でもあるといいですね。
「音のかたち−日本の音を探る」
B5版64頁 平3
音をめぐる企画展の話題、以前も一度触れたことがあります。
今回の図録は「音の出るオールスター大集合」のような感じで、吹く音・振る音・弾く音・打つ音・神の音・仏の音・戦いの音・今に生きる伝統の音−という分野ごとに、縄文時代の土笛から銅鐸・鰐口などなど音の出る資料が目白押しです。
それぞれにとても興味深いのですが、その中からひとつ。
古墳時代に大陸から入った青銅製の馬具のなかに鈴のようなものがあったそうです。「権威の音」、荘厳さを演出するための道具だったようですが、これが神社の鈴となったのだそうです。そういえば、神の使いである巫女もなにか鈴のついた道具を持っていますね。
猫の首輪に鈴が付いていることがありますが、あれは単に居場所を示すためだけなんでしょうかね?犬の首輪には鈴はついていませんよね?
それぞれの資料が実際にどんな音がするのか−CDの付録でもあるといいですね。
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2009年03月31日
鹿の受難
栃木県立博物館
「鹿 人とのかかわりの歴史」
B5版71頁 平元
このコラムは”動物モノ”が大好きです。
さて今回の主人公は「鹿」。
鹿に焦点を当てた企画展も珍しいのではないでしょうか。
鹿といえば、奈良東大寺が思い出されるがごとく、神の使い、聖なる存在として大切にされてきた半面、鹿骨器のように人間の生活に不可欠な「道具」としても扱われてきたわけです。
中世武士が身に付ける鹿革のズボンのようなもの=行縢(むかばき)も思い起こされます。
江戸時代には大規模な鹿狩りで千頭単位で狩られたり、作物を食い荒らすという理由で鉄砲で駆除されたりと、受難が始まります。
でも、このころはまだ、人間の住む平野部や都市の近くでも普通に見られたとか。
本当の受難は、明治以後の農地開発・都市化だったのです。
執筆の研究者は、この受難は鹿を狩ったり駆除したりという目的からではなく、「目的がなく、無意識に行われるという点で(中略)大変重大な危機」であり、この受難が「もっとも大きく、まるで明治以降の日本の発展とひきかえに進んできた」とし、「このままの状況がすすめば確実に、鹿は私達の前から姿を消すことでしょう」と訴えます。
我々が近代化と引き換えに捨てたものは山のようにたくさんありますが、鹿もその中にいたのです。
この手の刊行物としては珍しく、メッセージを感じさせる図録です。
「鹿 人とのかかわりの歴史」
B5版71頁 平元
このコラムは”動物モノ”が大好きです。
さて今回の主人公は「鹿」。
鹿に焦点を当てた企画展も珍しいのではないでしょうか。
鹿といえば、奈良東大寺が思い出されるがごとく、神の使い、聖なる存在として大切にされてきた半面、鹿骨器のように人間の生活に不可欠な「道具」としても扱われてきたわけです。
中世武士が身に付ける鹿革のズボンのようなもの=行縢(むかばき)も思い起こされます。
江戸時代には大規模な鹿狩りで千頭単位で狩られたり、作物を食い荒らすという理由で鉄砲で駆除されたりと、受難が始まります。
でも、このころはまだ、人間の住む平野部や都市の近くでも普通に見られたとか。
本当の受難は、明治以後の農地開発・都市化だったのです。
執筆の研究者は、この受難は鹿を狩ったり駆除したりという目的からではなく、「目的がなく、無意識に行われるという点で(中略)大変重大な危機」であり、この受難が「もっとも大きく、まるで明治以降の日本の発展とひきかえに進んできた」とし、「このままの状況がすすめば確実に、鹿は私達の前から姿を消すことでしょう」と訴えます。
我々が近代化と引き換えに捨てたものは山のようにたくさんありますが、鹿もその中にいたのです。
この手の刊行物としては珍しく、メッセージを感じさせる図録です。
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2009年01月31日
危機と人間
龍ヶ崎市歴史民俗資料館
「幕末維新期の旗本−松平諦之助の場合」
B5版91頁 平8
世の中「百年に一度」の経済危機で大変なことになっておりますが、かつて「三百年に一度」の危機に直面した人たちがいました。
幕府瓦解という事態に、幕臣たちはいかに行動したか。
とても興味深いテーマですが、史料が少ないためか、われわれ一般向けにまとめられた本はないようです。
まあ、幕臣といっても数が多いですし、旗本株・御家人株の売買が横行し、江戸という消費都市に長年暮らして都市的価値観に馴染んできた人たちですから、幕府への帰属意識や忠誠心も人さまざまで、地方の藩のように一枚岩で語ることはできないのでしょう。
樋口一葉のお父さんのように、御家人株を買って幕臣になったと思ったら、ほどなく幕府がなくなってしまった−なんて人もいます。
この松平諦之助という人は、三千石の旗本の次男坊。
西洋式陸軍の士官などを勤めますが29歳で維新となります。
いったん豊後にある知行地に移住しますが、ほどなく東京に戻り、最後は龍ヶ崎市内のある名主の家に婿入りします。
だから龍ヶ崎でこの展覧会が開かれたわけですが、詳しいことはよくわからないようで、ちょっと残念です。
「幕末維新期の旗本−松平諦之助の場合」
B5版91頁 平8
世の中「百年に一度」の経済危機で大変なことになっておりますが、かつて「三百年に一度」の危機に直面した人たちがいました。
幕府瓦解という事態に、幕臣たちはいかに行動したか。
とても興味深いテーマですが、史料が少ないためか、われわれ一般向けにまとめられた本はないようです。
まあ、幕臣といっても数が多いですし、旗本株・御家人株の売買が横行し、江戸という消費都市に長年暮らして都市的価値観に馴染んできた人たちですから、幕府への帰属意識や忠誠心も人さまざまで、地方の藩のように一枚岩で語ることはできないのでしょう。
樋口一葉のお父さんのように、御家人株を買って幕臣になったと思ったら、ほどなく幕府がなくなってしまった−なんて人もいます。
この松平諦之助という人は、三千石の旗本の次男坊。
西洋式陸軍の士官などを勤めますが29歳で維新となります。
いったん豊後にある知行地に移住しますが、ほどなく東京に戻り、最後は龍ヶ崎市内のある名主の家に婿入りします。
だから龍ヶ崎でこの展覧会が開かれたわけですが、詳しいことはよくわからないようで、ちょっと残念です。
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2009年01月24日
広告の裏
神奈川県立金沢文庫
「紙背文書の世界」
B5版63頁 平6
紙背文書とは何か。
この図録ではこう解説しています。
「押入れにいれたままの箱に、子供たちの落書きの絵があり、その裏に広告が印刷されていたとしよう」
ありますね、こういう状況。
こういう例えを出してもらうと、「紙背文書」の意味がすぐわかる。
こうした場合、たいがいは広告の方に見入ってしまう。
「へえー、こんなのがこんな値段だったんだねえ。
このモデルさん、×××だよね。若いねえ・・」
という具合である。
むかしは紙が貴重品だったから、手紙などの裏を再利用する。
お寺では写経に使う。
金沢文庫の紙背文書は、おおくは称名寺で再利用されたもの。
国立歴史民俗博物館に行くと東大寺で再利用された紙背文書のホンモノを見ることができる。
いまになってみれば、お経はあんまり大事でなくて、裏の広告の方が大事なわけだ。
さらに面白いのは、再利用しようとする紙が皺だらけになっている場合。
皺をのばすため、何枚も重ねて霧吹きをする。そして上から重しをしておく。
そのため、上下の手紙の文面も移ってしまうことがある。
一枚で三度おいしいわけだ。
というわけで、こんな話が満載の面白い図録です。
「紙背文書の世界」
B5版63頁 平6
紙背文書とは何か。
この図録ではこう解説しています。
「押入れにいれたままの箱に、子供たちの落書きの絵があり、その裏に広告が印刷されていたとしよう」
ありますね、こういう状況。
こういう例えを出してもらうと、「紙背文書」の意味がすぐわかる。
こうした場合、たいがいは広告の方に見入ってしまう。
「へえー、こんなのがこんな値段だったんだねえ。
このモデルさん、×××だよね。若いねえ・・」
という具合である。
むかしは紙が貴重品だったから、手紙などの裏を再利用する。
お寺では写経に使う。
金沢文庫の紙背文書は、おおくは称名寺で再利用されたもの。
国立歴史民俗博物館に行くと東大寺で再利用された紙背文書のホンモノを見ることができる。
いまになってみれば、お経はあんまり大事でなくて、裏の広告の方が大事なわけだ。
さらに面白いのは、再利用しようとする紙が皺だらけになっている場合。
皺をのばすため、何枚も重ねて霧吹きをする。そして上から重しをしておく。
そのため、上下の手紙の文面も移ってしまうことがある。
一枚で三度おいしいわけだ。
というわけで、こんな話が満載の面白い図録です。
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2008年10月04日
江戸のなりたち
江戸東京博物館
「参勤交代−巨大都市江戸のなりたち」
A4版170頁 1997
「巨大都市江戸のなりたち」という副題がすべてを物語っています。
まさしく、参勤交代なくして江戸はなかった。
たくさんの江戸屋敷、地方から上京する大勢の勤番侍、その落とす金がなければ巨大消費都市「江戸」は存在しなかったのですから。
浮世絵も戯作文学も歌舞伎も参勤交代がつくったと言ってよい。
その参勤交代にまつわるすべてを良く整理して教えてくれる図録です。
そもそも参勤交代とは何なのか−から始まって、大名行列の実態や費用、勤番侍の江戸生活、大名屋敷の生活が豊富な資料で紹介されています。
参勤交代とは直接関係ないのですが、収録されているベアト撮影のの愛宕山からのパノラマ写真に残された江戸の町!
まあ一度、現代のゴチャゴチャと汚い東京と比べてください。
「参勤交代−巨大都市江戸のなりたち」
A4版170頁 1997
「巨大都市江戸のなりたち」という副題がすべてを物語っています。
まさしく、参勤交代なくして江戸はなかった。
たくさんの江戸屋敷、地方から上京する大勢の勤番侍、その落とす金がなければ巨大消費都市「江戸」は存在しなかったのですから。
浮世絵も戯作文学も歌舞伎も参勤交代がつくったと言ってよい。
その参勤交代にまつわるすべてを良く整理して教えてくれる図録です。
そもそも参勤交代とは何なのか−から始まって、大名行列の実態や費用、勤番侍の江戸生活、大名屋敷の生活が豊富な資料で紹介されています。
参勤交代とは直接関係ないのですが、収録されているベアト撮影のの愛宕山からのパノラマ写真に残された江戸の町!
まあ一度、現代のゴチャゴチャと汚い東京と比べてください。
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2008年09月27日
髪は世に連れ
大阪人権博物館
「髪の身分史」
A4版90頁 1999
題名からして面白そうでしょう?
大坂人権博物館の図録は、どれもテーマは面白いのですが、内容がいささか専門的で難しいのがチョットね・・・
いや、生意気なことを申しました。
とはいえ、面白いエピソードが目白押しです。
たとえば
外出中に烏帽子を忘れたことに気付き、顔面蒼白で家に駆け戻る中世武士。
髪を露出することがそれほどまでに恥ずかしかったのですね。
また、江戸時代には月代を剃らない頭は、囚人や被差別民を連想させる負のイメージであったこと。
たしかに謹慎の罰を受けた武士は月代を伸ばし放題にしています。
また、時代劇に出てくる落ちぶれ浪人も月代が伸びているのがお決まりのスタイルです。
でも、幕末には月代を剃らない髪形が多いですよね。
坂本龍馬の写真、近藤勇の写真−みな総髪(というのかな?)です。
時代とともに、月代は「旧弊」のイメージに変わっていったのか?
あるいは外国人の手前、「恥ずかしい」という感情が生じてきたのか?
とにかく面白いテーマですよ!
「髪の身分史」
A4版90頁 1999
題名からして面白そうでしょう?
大坂人権博物館の図録は、どれもテーマは面白いのですが、内容がいささか専門的で難しいのがチョットね・・・
いや、生意気なことを申しました。
とはいえ、面白いエピソードが目白押しです。
たとえば
外出中に烏帽子を忘れたことに気付き、顔面蒼白で家に駆け戻る中世武士。
髪を露出することがそれほどまでに恥ずかしかったのですね。
また、江戸時代には月代を剃らない頭は、囚人や被差別民を連想させる負のイメージであったこと。
たしかに謹慎の罰を受けた武士は月代を伸ばし放題にしています。
また、時代劇に出てくる落ちぶれ浪人も月代が伸びているのがお決まりのスタイルです。
でも、幕末には月代を剃らない髪形が多いですよね。
坂本龍馬の写真、近藤勇の写真−みな総髪(というのかな?)です。
時代とともに、月代は「旧弊」のイメージに変わっていったのか?
あるいは外国人の手前、「恥ずかしい」という感情が生じてきたのか?
とにかく面白いテーマですよ!
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2008年09月20日
弥生のイヌふたたび
大阪府立弥生文化博物館
「卑弥呼の動物ランド−よみがえった弥生犬」
A4版107頁 1996
だいぶ以前になりますが、このブログの「縄文人と鳥」という項で、縄文時代には狩猟の友として大事にされていたイヌが、弥生時代には食用とされたことを紹介し、「かわいそう」「気持ち悪い」と弥生人を非難いたしました。
が、私が間違っていたことがこの図録により判明いたしました。
これは弥生時代の動物事情を紹介した非常に興味深い図録です。
ここでは、1980年に大坂・亀井遺跡から出土した牝イヌの完全骨格から、その姿を復元しています。
現在の四国犬にそっくりというそのイヌをはじめ、弥生時代にも丁重に葬られたイヌの出土例はあるそうです。
もちろん縄文遺跡からは埋葬されたイヌが200例以上出土しているのに対し、数は少ないようですから、食用にされたイヌもたくさんいた事実に変わりはありませんけれど・・・
それにしても、弥生人の皆様には、私の発言に配慮に欠ける部分もございましたことを深くお詫び申し上げます。
「卑弥呼の動物ランド−よみがえった弥生犬」
A4版107頁 1996
だいぶ以前になりますが、このブログの「縄文人と鳥」という項で、縄文時代には狩猟の友として大事にされていたイヌが、弥生時代には食用とされたことを紹介し、「かわいそう」「気持ち悪い」と弥生人を非難いたしました。
が、私が間違っていたことがこの図録により判明いたしました。
これは弥生時代の動物事情を紹介した非常に興味深い図録です。
ここでは、1980年に大坂・亀井遺跡から出土した牝イヌの完全骨格から、その姿を復元しています。
現在の四国犬にそっくりというそのイヌをはじめ、弥生時代にも丁重に葬られたイヌの出土例はあるそうです。
もちろん縄文遺跡からは埋葬されたイヌが200例以上出土しているのに対し、数は少ないようですから、食用にされたイヌもたくさんいた事実に変わりはありませんけれど・・・
それにしても、弥生人の皆様には、私の発言に配慮に欠ける部分もございましたことを深くお詫び申し上げます。
posted by 氷川書房 at 12:00| この図録が面白い!