家具の歴史館
「日本の箪笥展」
昭48 24X25cm 72頁
大名道具など一流工芸品としての箪笥は別として、日常生活に使われた箪笥の展覧会は思ったほど多くありません。
上記は数少ない日用箪笥をテーマとした展覧会の図録。
このテーマの展覧会図録としては比較的ポピュラー(といっても2-3年に1回ぐらいしかお目にかかれません)。
これ以外に、当店が扱ったことのあるのは、福井県の「三国箪笥展」ぐらいです。
この図録によると、箪笥の原型は「厨子」なのだそうです。
言われてみれば、その通りなのですが、「厨子」というと「正倉院」なんて言葉を思い浮かべてしまい、ウチにある箪笥も、なにやら由緒ありげに見えてしまいます。
少し意外だったのは、元禄頃までは、収納具といえば「長持」で、箪笥が普及するのは江戸時代中期以降という記述。
江戸時代の最初の百年は、日本人の生活文化に革命的な変化をもたらした−とはよく言われることですが、箪笥でも、それは「真」であったわけです。
なかには建築史系の「日本の赤煉瓦展」とか民俗学系の「星の信仰展」とか「これは面白い!」というのも多いのだけれど、売ってしまえばそれっきり。
しかも一般の書籍と違って書誌データもないので、人知れず世の中から消えていってしまう。
それが、なにやら残念で、折に触れて「面白い図録」を紹介していきたいと思います。
記録に残したい、というのが目的なので、必ずしも全部が「売り物」ではありません。どうか悪しからず。
(なお、このコラムは2005年3月より当店ホームページに掲載中のものをブログに移転したものです。)
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2007年01月25日
音楽の図録のこと
沖縄県立博物館
「三線のひろがりと可能性」
1999 A4版79頁
国立劇場
「近世の外来音楽−長崎の明清楽・隠れキリシタンのオランショ」
昭52 B5変型版18頁
上野学園日本音楽資料室
「日本の楽譜展−天平琵琶譜から幕末の鼓笛譜まで」
昭58 B5版44頁
同
「中世の音楽資料−鎌倉時代を中心に」
昭61 B5版32頁
同
「声明資料展−講式」
昭59 B5版38頁
東京芸術大学芸術資料館
「音楽取調掛特別展目録」
昭46 B5版32頁
音楽関係の企画展は数が少なく、その図録もめったに見ることがありません。
なお、国立劇場のは公演のパンフで、正しくは図録でなく、東京芸大のも図版はなく、あくまでも展示資料の解説なのですけど。
この中で、私のような門外漢の興味を最も引くのは、やはり「日本の楽譜」でしょう。
60もの楽譜が一部写真つきで紹介されていますが、それぞれの楽譜の読み方までは詳説してくれないので、「いったい、これはどういう法則で書かれているのか・・」と、考えるだけで面白い。
もっとも、考えたところで何もわかりはしませんが・・。
直感的に、なんとか理解できるのは慶応年間の「英国式軍楽鼓笛譜」。
英国式といっても薩摩か佐賀の刊行らしいですが、鼓笛手になる人が、すぐに理解できるようになっているのでしょう。
「三線のひろがりと可能性」
1999 A4版79頁
国立劇場
「近世の外来音楽−長崎の明清楽・隠れキリシタンのオランショ」
昭52 B5変型版18頁
上野学園日本音楽資料室
「日本の楽譜展−天平琵琶譜から幕末の鼓笛譜まで」
昭58 B5版44頁
同
「中世の音楽資料−鎌倉時代を中心に」
昭61 B5版32頁
同
「声明資料展−講式」
昭59 B5版38頁
東京芸術大学芸術資料館
「音楽取調掛特別展目録」
昭46 B5版32頁
音楽関係の企画展は数が少なく、その図録もめったに見ることがありません。
なお、国立劇場のは公演のパンフで、正しくは図録でなく、東京芸大のも図版はなく、あくまでも展示資料の解説なのですけど。
この中で、私のような門外漢の興味を最も引くのは、やはり「日本の楽譜」でしょう。
60もの楽譜が一部写真つきで紹介されていますが、それぞれの楽譜の読み方までは詳説してくれないので、「いったい、これはどういう法則で書かれているのか・・」と、考えるだけで面白い。
もっとも、考えたところで何もわかりはしませんが・・。
直感的に、なんとか理解できるのは慶応年間の「英国式軍楽鼓笛譜」。
英国式といっても薩摩か佐賀の刊行らしいですが、鼓笛手になる人が、すぐに理解できるようになっているのでしょう。
posted by 氷川書房 at 11:18| この図録が面白い!
2007年01月24日
縄文人と鳥
かみつけの里博物館
「鳥の考古学 神・精霊・人の死−古代人の精神と密接にかかわる鳥の造形たち」
1999 A4版45頁
考古学に登場する動物で最もポピュラーなのは馬でしょう。
「騎馬民族説」がセンセーションを巻き起こしたのはいつでしたか・・。
ですから「馬」関連の展覧会図録はよく見かけますが、「鳥」は珍しい。
もっとも「犬」の展覧会もないかな? 猫は・・。 猫が日本に入るのは、ずっと後、奈良時代ぐらいですか。
この図録によると縄文時代の遺跡からも鳥の骨などは出土するのだが、鳥の造形物はほとんどない、そうです。
意外なことに縄文人は鳥にあまり関心がなかったのだ!
鳥の造形物がぐっと増えるのは弥生時代から。鳥が神聖視されるようになったそうだ。
この間に、日本人にいったい何が起こったのか?
縄文人と弥生人は骨格からして違う、別民族だとも言われます。
そう考えれば何の不思議もないですが・・
が、後々まで縄文文化が色濃く残った東日本はともかくとして、西日本でも縄文人全員が死に絶えたわけでもありますまい。むしろ相当数の縄文人が、大陸から渡って来た人々とゆるやかに混血などを繰り返しながら変質していったはず。
「縄文」と「弥生」(網野善彦氏に言わせれば「東日本」と「西日本」ということになるか)の問題は、「鳥」という断面から見ても奥が深いなあ・・
動物関連といえば、こんなのもあります。メジャーな館の図録ですから、ご存知の方・お持ちの方も多いでしょう。
国立歴史民俗博物館
「動物とのつきあい−食用から愛玩まで」
1996 A4版118頁
犬は縄文時代には大切に埋葬されていたのが、弥生時代になると食用にされ、埋葬の習慣は消えたそうです。
カワイソー。
うーん、縄文と弥生の落差はここでもデカイなあ。
私などは縄文人の血を引く(?)バリバリの東国人ですから犬を食べるなど想像するだけで気持ち悪いです。
「鳥の考古学 神・精霊・人の死−古代人の精神と密接にかかわる鳥の造形たち」
1999 A4版45頁
考古学に登場する動物で最もポピュラーなのは馬でしょう。
「騎馬民族説」がセンセーションを巻き起こしたのはいつでしたか・・。
ですから「馬」関連の展覧会図録はよく見かけますが、「鳥」は珍しい。
もっとも「犬」の展覧会もないかな? 猫は・・。 猫が日本に入るのは、ずっと後、奈良時代ぐらいですか。
この図録によると縄文時代の遺跡からも鳥の骨などは出土するのだが、鳥の造形物はほとんどない、そうです。
意外なことに縄文人は鳥にあまり関心がなかったのだ!
鳥の造形物がぐっと増えるのは弥生時代から。鳥が神聖視されるようになったそうだ。
この間に、日本人にいったい何が起こったのか?
縄文人と弥生人は骨格からして違う、別民族だとも言われます。
そう考えれば何の不思議もないですが・・
が、後々まで縄文文化が色濃く残った東日本はともかくとして、西日本でも縄文人全員が死に絶えたわけでもありますまい。むしろ相当数の縄文人が、大陸から渡って来た人々とゆるやかに混血などを繰り返しながら変質していったはず。
「縄文」と「弥生」(網野善彦氏に言わせれば「東日本」と「西日本」ということになるか)の問題は、「鳥」という断面から見ても奥が深いなあ・・
動物関連といえば、こんなのもあります。メジャーな館の図録ですから、ご存知の方・お持ちの方も多いでしょう。
国立歴史民俗博物館
「動物とのつきあい−食用から愛玩まで」
1996 A4版118頁
犬は縄文時代には大切に埋葬されていたのが、弥生時代になると食用にされ、埋葬の習慣は消えたそうです。
カワイソー。
うーん、縄文と弥生の落差はここでもデカイなあ。
私などは縄文人の血を引く(?)バリバリの東国人ですから犬を食べるなど想像するだけで気持ち悪いです。
posted by 氷川書房 at 12:56| この図録が面白い!
2007年01月23日
芸術をささえるもの
松戸市立博物館
「デザインの揺籃時代展−東京高等工芸学校の歩み〔1〕」
1996 A4版135頁
松戸市立博物館
「視覚の昭和 一九三〇−四〇年代−東京高等工芸学校の歩み〔2〕」
1998 A4版167頁
戦前のグラフィックデザイン・工業デザイン、そしてその国家宣伝との関わり
このテーマに関心を持つ人は多いのでしょう、その関係の文献は比較的多いです。
東京高等工芸学校は芝浦の校舎が空襲で被災した後、松戸に移転し、そのまま千葉大学に編入された経緯から松戸市教育委員会も関係資料を収蔵しているようです。
その縁での連続企画展の図録が上記です。
直接関係ない話で恐縮ですが、先日多川精一氏の著作を読んでいたら、こんなことが書かれていました。
多川氏が、戦時中のプロパガンダ誌「FRONT」で有名な東方社に勤めていたのは周知ですが、その頃、アメリカ側のプロパガンダ誌「VICTORY」を手にする機会があったそうです。
そして東方社のスタッフが衝撃を受けたのが、その用紙だったとか。
「FRONT」は復刻版も出て、その斬新なデザイン力には私も驚きましたが、写真をきれいに刷るためには上質の重い紙を使わねばならなかったそうです。
ところがアメリカ側の用紙は、写真のりが良いのにもかかわらず極めて軽くできていた
そのことがショックだったというのです。
満洲から太平洋戦線まで広範囲にバラまくのが目的の雑誌なのに、「FRONT」は重くて航空輸送に不利だった
というわけです。
なるほどプロというのは、そういうところを見るものなのか。
そういえば、当時の日本の軍用機も設計上の性能は優れているのに、工芸品的に精緻なメカニズムゆえに荒っぽい前線では故障や不具合が続出して設計上の性能が発揮できなかった−そんな話とも相通ずるものがあります。
現代に通ずる革新性と、それを支える基礎技術の不足−そんなことを考えながら、この2冊の図録を眺めています。
「デザインの揺籃時代展−東京高等工芸学校の歩み〔1〕」
1996 A4版135頁
松戸市立博物館
「視覚の昭和 一九三〇−四〇年代−東京高等工芸学校の歩み〔2〕」
1998 A4版167頁
戦前のグラフィックデザイン・工業デザイン、そしてその国家宣伝との関わり
このテーマに関心を持つ人は多いのでしょう、その関係の文献は比較的多いです。
東京高等工芸学校は芝浦の校舎が空襲で被災した後、松戸に移転し、そのまま千葉大学に編入された経緯から松戸市教育委員会も関係資料を収蔵しているようです。
その縁での連続企画展の図録が上記です。
直接関係ない話で恐縮ですが、先日多川精一氏の著作を読んでいたら、こんなことが書かれていました。
多川氏が、戦時中のプロパガンダ誌「FRONT」で有名な東方社に勤めていたのは周知ですが、その頃、アメリカ側のプロパガンダ誌「VICTORY」を手にする機会があったそうです。
そして東方社のスタッフが衝撃を受けたのが、その用紙だったとか。
「FRONT」は復刻版も出て、その斬新なデザイン力には私も驚きましたが、写真をきれいに刷るためには上質の重い紙を使わねばならなかったそうです。
ところがアメリカ側の用紙は、写真のりが良いのにもかかわらず極めて軽くできていた
そのことがショックだったというのです。
満洲から太平洋戦線まで広範囲にバラまくのが目的の雑誌なのに、「FRONT」は重くて航空輸送に不利だった
というわけです。
なるほどプロというのは、そういうところを見るものなのか。
そういえば、当時の日本の軍用機も設計上の性能は優れているのに、工芸品的に精緻なメカニズムゆえに荒っぽい前線では故障や不具合が続出して設計上の性能が発揮できなかった−そんな話とも相通ずるものがあります。
現代に通ずる革新性と、それを支える基礎技術の不足−そんなことを考えながら、この2冊の図録を眺めています。
posted by 氷川書房 at 08:51| この図録が面白い!
2007年01月22日
町田市立博物館のこと
町田市立博物館
「どびん−その歴史と諸国の窯」展
昭58 B5版56頁
町田郷土資料館
「落雁展−徳川期の菓子木型を中心に」
昭50 B5版82頁
横浜マリタイムミュージアム
「船と旗」展
1994 B5版43頁
町田市立博物館は「手ぬぐい展」とか「木綿以前のこと展」「火の昔展」など民俗学関係のユニークな企画で知られていますが、「どびん展」というのも面白い。
言われてみれば当然なのだが、「どびん」にもこんなにいろいろな窯元があるなんて考えたこともなかったです。
さらに面白いのが「落雁展」。お菓子の落雁の木型ばかりを166点も集めた図録なんて、他にありますかね?
一般書籍を含めても類書はないのでは?
「類書がない」という点では横浜マリタイムミュージアムの「船と旗」も面白い。
江戸時代の船名幟や明治・大正期の海運各社の主旗を集めてあります。
「どびん−その歴史と諸国の窯」展
昭58 B5版56頁
町田郷土資料館
「落雁展−徳川期の菓子木型を中心に」
昭50 B5版82頁
横浜マリタイムミュージアム
「船と旗」展
1994 B5版43頁
町田市立博物館は「手ぬぐい展」とか「木綿以前のこと展」「火の昔展」など民俗学関係のユニークな企画で知られていますが、「どびん展」というのも面白い。
言われてみれば当然なのだが、「どびん」にもこんなにいろいろな窯元があるなんて考えたこともなかったです。
さらに面白いのが「落雁展」。お菓子の落雁の木型ばかりを166点も集めた図録なんて、他にありますかね?
一般書籍を含めても類書はないのでは?
「類書がない」という点では横浜マリタイムミュージアムの「船と旗」も面白い。
江戸時代の船名幟や明治・大正期の海運各社の主旗を集めてあります。
posted by 氷川書房 at 09:30| この図録が面白い!
2007年01月21日
飯田操朗
姫路市立美術館
「飯田操朗と前衛の時代」展
1996 A4版111頁
28歳で夭折したフォービズムそしてシュルレアリスムの画家飯田操朗。
戦前のこの種の画家の中では色彩のきれいなところに魅かれます。
遺作の多くが戦災で焼失したこともあり、飯田がメインの展覧会は、これが唯一のようです。
死の翌々年に、仲間だった福沢一郎が編集し、瀧口修造なども文章を寄せた「飯田操朗画集」は、ビックリするほど古書価が高いですね。
現在遺っている作品がカラーで見られ、「画集」所収作品も参考掲載され(当然モノクロですけど)、おまけに飯田関連の写真や関連雑誌記事なども収められた、読み応えタップリの良い図録です。
「飯田操朗と前衛の時代」展
1996 A4版111頁
28歳で夭折したフォービズムそしてシュルレアリスムの画家飯田操朗。
戦前のこの種の画家の中では色彩のきれいなところに魅かれます。
遺作の多くが戦災で焼失したこともあり、飯田がメインの展覧会は、これが唯一のようです。
死の翌々年に、仲間だった福沢一郎が編集し、瀧口修造なども文章を寄せた「飯田操朗画集」は、ビックリするほど古書価が高いですね。
現在遺っている作品がカラーで見られ、「画集」所収作品も参考掲載され(当然モノクロですけど)、おまけに飯田関連の写真や関連雑誌記事なども収められた、読み応えタップリの良い図録です。
posted by 氷川書房 at 09:52| この図録が面白い!
2007年01月20日
「古」墳になるまで
芦屋市立美術博物館
「古墳と伝承−移りゆく”塚”へのまなざし」展
1993 B5版24頁
古墳関係の図録は数あれど、「古墳のその後」に焦点を当てた企画展は他に見たことありません。
たった24ページの薄い図録ですが、古代以後、古墳のたどった運命(?)を顧みる企画展です。
そのまま(一般人の)墓地となった古墳、手水鉢となった石棺、仏像が安置されていた古墳、納骨堂になった古墳などなど。
もっとも、企画の主眼は、表題からもわかるように古墳にまつわる伝承の方にあり、「黄金千枚が埋められている」だの「在原業平のお父さんの墓だ」とか、江戸時代あたりの「ものしり」が適当なこと言ってた感じが、また面白いです。
「古墳と伝承−移りゆく”塚”へのまなざし」展
1993 B5版24頁
古墳関係の図録は数あれど、「古墳のその後」に焦点を当てた企画展は他に見たことありません。
たった24ページの薄い図録ですが、古代以後、古墳のたどった運命(?)を顧みる企画展です。
そのまま(一般人の)墓地となった古墳、手水鉢となった石棺、仏像が安置されていた古墳、納骨堂になった古墳などなど。
もっとも、企画の主眼は、表題からもわかるように古墳にまつわる伝承の方にあり、「黄金千枚が埋められている」だの「在原業平のお父さんの墓だ」とか、江戸時代あたりの「ものしり」が適当なこと言ってた感じが、また面白いです。
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